大判例

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津地方裁判所 昭和57年(ワ)42号 判決

原告

中林美佳

右法定代理人親権者父兼原告

中林徹

同母兼原告

中林敬美

原告ら訴訟代理人弁護士

石坂俊雄

村田正人

福井正明

伊藤誠基

中村亀雄

被告

日下仁之

被告

日下尚機

被告ら訴訟代理人弁護士

河内尚明

北村利弥

戸田喬康

右北村利弥復代理人弁護士

藤田哲

主文

1  被告らは、各自、原告中林美佳に対し金二七二五万一八二三円、原告中林徹及び同中林敬美に対しそれぞれ金一五〇万円及び右各金員に対する昭和五五年一〇月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は二分し、その一を原告らの負担、その余を被告らの負担とする。

4  この判決の第一項中原告中林美佳勝訴部分は金二〇〇〇万円を限度として仮に執行することができる。但し、被告らが共同して金二〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告中林美佳に対し金五〇三三万円及びこれに対する昭和五五年一〇月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは各自原告中林徹及び同中林敬美に対しそれぞれ金五〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一〇月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

三  請求原因

1  当事者及び診療契約の存在

(一) 原告中林美佳(以下、原告美佳という)は、昭和五五年八月七日、原告中林徹(以下、原告徹という)及び同中林敬美(以下、原告敬美という)の長女として、被告日下仁之(以下、被告仁之という)の開設にかかる日下病院(以下、被告病院という)で出生し、出生以後被告病院で保育された。被告病院は産婦人科を標榜する病院であり、医師である被告仁之は同病院の院長、医師である被告日下尚機(以下、被告尚機という)は同病院の副院長としてそれぞれ被告病院における診療に従事している者である。

(二) 被告仁之は原告らとの間で原告美佳に対する診療行為を目的とする診療契約を締結し、同被告の履行補助者である被告尚機と共同して原告美佳に対する診療行為を行なつた。

2  原告美佳が失明するに至つた経緯

(一) 原告美佳は、昭和五五年八月七日被告病院で出生したが、在胎期間は満三〇週間で生下時体重は一五〇〇グラムの未熟児であつたため、出生直後から同年一〇月一五日まで保育器に収容され、その間の九月二四日まで四九日間酸素の投与を受け、同年一〇月二四日に退院したが、被告病院では退院に至るまで全く眼底検査を受けたことはなかつた。

(二) 原告徹、同敬美及び小林富三(原告美佳の祖父)らは、未熟児が保育器に収容され酸素供給を受けると未熟児網膜症(以下、本症という)に罹患する可能性が大であることを聞き及び、原告美佳が本症に罹患するのではないかと心配し、同原告出生直後から被告らに対し再々同原告に対する酸素管理は大丈夫なのか、眼底検査はしてもらつているだろうかなどと質問したが、被告らは、「保育器内の酸素で網膜症になることはわかつていますから、酸素の量には十分気をつけています。それでも心配ならば子供が退院してから眼科に見せればよい。もし悪ければ焼けば直る。今現在は、保育器の中から出せないから眼底検査は出来ない。」と述べていた。

(三) 原告美佳は昭和五五年一〇月二五日に退院予定であつたが、原告徹らの執拗な求めにより、その前日である同月二四日被告らが「それ程心配なら紹介しましよう」と述べて紹介した松阪中央総合病院の眼科医玉置政夫の診察を受けたところ、Type Ⅰ Stage Ⅳ の本症に罹患していることが判明し、即時入院を勧められたものの松阪中央総合病院に空部屋がなかつたため、直ちに三重大学附属病院に転医し同病院で診察を受けたところ、重度の本症と診断され、「一刻も早く手術を受けた方がよい。何故こんな小さな子供を今まで何もしないで放つておいたのか。三重大学附属病院でははつきりいつて手に負えない状態であり、名古屋市立大学附属病院の馬嶋教授に手術を委ねた方がよい」と教示された。

(四) 原告美佳が馬嶋教授の診察を受けたところ、同教授の診断は「現在右眼は失明で、左眼は右眼より少し良いだけである。これ以上良くなることはないが、現在の状態で止めておけるよう努力する」とのことで、同年一〇月二七日午後三時三〇分原告美佳は同教授の執刀による冷凍凝固手術を受けたが、手術後、同教授から「手術は成功したが、眼が見えるようになるかどうか分からない」旨の説明を受けた。

(五) 原告美佳は、同一一月四日名古屋市立大学附属病院を退院し、現在は週一度の割合で三重大学附属病院で診察を受けているが、両眼とも失明状態である。

3  責任原因

(一) 注意義務について

人の生命健康を預かる重大な職責を担う医師は、「臨床医学の実践としての医療水準」を基準とした注意義務を負うものであるが、日進月歩を遂げる医療の向上に対応して絶えず医療知識・医療技術を摂取すべく日々研鑚に励み、患者の生命健康を守るために最善の診療行為を行なうべきであり、特に本件の如く未熟児を扱う医療においては、患者本人からの愁訴を欠くうえ抵抗力が弱く症状の急変をみやすいことから綿密周到な診療が要求され高度の注意義務が課せられているというべきである。

ところが、後に詳述するとおり、被告らは昭和五五年八月当時の未熟児を養育する医師として果たすべき注意義務を怠り、原告美佳を本症Ⅰ型により両眼失明に至らしめた。すなわち、原告美佳が出生した昭和五五年八月頃は、全身管理・酸素管理・眼底検査・光凝固法のいずれをとつてみても、我国において本症が多発した昭和四〇年代とは比較にならない程の進歩を遂げて本症Ⅰ型の発生自体を確実に防ぎえたのであるから、昭和五五年八月当時の「臨床医学の実践としての医療水準」に照せば、被告らは眼底検査不実施により治療時期を失したという治療責任のみならず、本症の発症責任をも負うものというべきである。

なお、最高裁判所は昭和五一年二月出生の双胎児がⅡ型ないし混合型の本症に罹患した事例につき医療機関の責任を明確に認めている(最高裁判所第三小法廷昭和六〇年三月二六日判決・民集三九巻二号一二四頁)ところ、本件は全国で百を超えるといわれる本症に関する訴訟の中では最も遅い時期に出生した新生児に関する訴訟である。

(二) 発症責任

(1) 欧米では比較的早くから未熟児に対する徹底した全身管理を実行した結果本症はもはや過去の病気であるとされており、我国でも本症が多発したのは昭和四〇年代であつて、原告美佳出生時には稀にしか本症Ⅰ型をみることができなくなつており、結局未熟児の全身管理を徹底的に行い、その一環として注意深く酸素管理を行えば本症の発生を予防できるのである。原告美佳は早産児ではあるものの、相当体重児(妊娠持続日数に見合つた出生時体重をもつた乳児)で出生児の全身状態を示すアプガール・スコアは満点の一〇点であり出生児仮死もなく最良の状態で出生したのに、被告らの診療は酸素管理だけでなく全身管理が極めて杜撰であり、その結果原告美佳に本症を発症させたのであつて、原告美佳の本症は医原性疾患といわざるをえない。被告らは栄養及び体温保持(これらは低出生体重児の保育で感染予防と並んで留意すべき重要なポイントである)について当然なすべき措置を怠り、しかも大量皮下注射という不当な医療行為を行つており、このような不適切な全身管理と不必要な酸素投与によつて原告美佳に本症を発症せしめたのである。

(2) 全身管理を怠つた過失

(栄養) 低出生体重児では自律哺乳が危険であるため出生後一定の飢餓時間を経過させた後に鼻注栄養を行うのが一般的であり、生下時体重が一五〇〇グラムであれば右飢餓時間は一二時間が妥当であるとされていたのに、被告らは原告美佳については飢餓時間を五四時間と異常に長時間にした。また、授乳量は体重一キログラムにつき三ないし五ミリリットルが妥当であるから授乳計画をたてるためには体重測定が必要不可欠であるにもかかわらず、被告らは原告美佳について出生後一二日目まで体重計測をしておらず、未熟児養育医療機関で通常行なわれているホルトの体重曲線によるチェックもしていない。このような被告らの授乳実施の不完全さが生下時体重への復帰に三六日も要するなど原告美佳に悪影響を及ぼしたことは明らかである。

(体温保持)低出生体重児は単位体重当りの表面積が大きいので熱の喪失が多く、他方熱生産性が低くて体温調節機能が未熟であるため低体温に陥り易いが、低体温になると代謝機能に及ぼす影響も大きいので絶対にこれを予防しなければならない。原告美佳出生当時の一般的知見によれば、児の体温は直腸温で三七度、腹壁皮膚温で三六度に保つことが必要であり、環境温度の低下が体温の下降をきたし呼吸障害をひきおこすことから、未熟児担当医は未熟児の保育環境温度を三二ないし三五度の間に保つべきであつた。ところが、原告美佳の場合生後三日目から一〇日目までの体温は計測されていないし、直腸温が出生直後から八月末日頃までの間三五ないし三六度程度であつて適性温度からは程遠かつたし、保育器内温度も三〇ないし三二度しかなく適切な保育器環境温度も保たれていなかつた。原告美佳の無呼吸は被告らが右の低体温を改善する義務に違反して低体温のまま放置したことに起因するものである。

(大量皮下注射) 日本小児科学会が筋拘縮症との関係で大量皮下注射を実施しないように警告し、他の学会にも協力を求め全医師に周知させていた(日本小児科学会筋拘縮症委員会による昭和五一年二月一九日の「注射に関する提言Ⅰ」及び同年七月一日の「注射に関する提言Ⅱ」)にもかかわらず、被告らは原告美佳に対して五回も大量皮下注射を行つており、幸いにして現在のところは筋拘縮症の障害が生じていないけれども、右事実は被告らの未熟児治療の杜撰さと未熟児養育機関としての不適格性を端的に示している。

(3) 酸素管理上の過失

(医療水準) 昭和四〇年代後半において多くの文献で指摘されていたことは、「酸素療法の適応は呼吸障害があるとか、中心性チアノーゼが見られる場合であり、その投与方法としては、動脈血酸素分圧(PaO2)を測定して保育器内の酸素濃度をコントロールするのが最も妥当であるが、この測定が困難であればいわゆるガードナー法(チアノーゼが消失する酸素濃度を調べ、その濃度の四分の一だけ高い濃度に維持する方法)によるべきであり、特に呼吸困難の回復期には患児の血中酸素濃度が急激に上昇するため、酸素の過剰投与にならぬよう頻回の測定をしたり酸素を減らして患児の状態をみるなど継続的な観察が必要であり、このような注意を払つて酸素療法を行えば本症の発生を予防することが可能である」ということである。また、日本小児科学会新生児委員会による「未熟(児)網膜症予防のための指針」(昭和五〇年二月答申、昭和五二年一二月公表)においても、「低酸素症にある未熟児には救命的に酸素療法を行なわなければならない。もし酸素を投与しないときは、脳の低酸素症のために脳性麻痺などを遺すこともある。しかし一方では酸素療法が未熟児網膜症を増悪することもあるので、酸素療法を行う場合には次の各項に留意しなければならない。

イ 低出生体重児に酸素療法を行う場合には、低酸素症が明瞭に存在するときに限る。低酸素症の存在は中心性チアノーゼ、無呼吸発作及び呼吸窮迫(多呼吸、呼吸性呻吟、陥没呼吸、チアノーゼ)などによつて判定する。

ロ 酸素療法を行う場合は、一日数回の保育器内の酸素濃度測定を行い必要以上の酸素供給を行わないよう注意する。酸素流量を一時間一回点検しておけば、器内濃度は一日二回ぐらい測定しても充分である。ただし流量を変えたときはその都度器内酸素濃度を測定する必要がある。

ハ 高濃度の酸素療法を必要とするとき、あるいは長期に亘る酸素療法が必要なときは、酸素療法実施期間中は適宜Pa02を測定して六〇〜八〇mmHgに保つようにすることが望ましい。

ニ 酸素療法は出来るだけ短期間で中止することが望ましいが七日以上投与しなければならないときは、Pa02の測定のほか必ず眼底検査を行つて網膜症の早期発見につとめるべきである。」などと指摘されており、厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班報告「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」(昭和五〇年発表)や日本産婦人科学会未熟網膜症問題委員会による報告「本邦における未熟網膜症」(昭和五一年一〇月刊行の日本産婦人科学会誌二八巻一〇号で発表)などでも同様の警告がされていた。そして、我国においても昭和五五年当時はPaO2を六〇ないし八〇mmHgに保つように酸素濃度を調整することが広く行なわれ、経皮的酸素分圧測定法も普及し始めていた。

(被告らの知見) 被告尚機は、原告美佳に対する酸素療法は酸素濃度を四〇パーセント以上にすることなく低濃度にしていたので本症の発生はまずないものと考え、またガードナー法すら知らず、PaO2の測定もしておらず、被告仁之も同程度の知見であり、要するに被告らは本症に対する十分な知識を有していなかつた。

(注意義務違背) 原告美佳(生下時体重一五〇〇グラム在胎三〇週の未熟児であるから、右「本邦における未熟網膜症」によれば重症の本症が発症する条件に該当し厳重な監視が必要である)に対して酸素療法を実施するときは必要最少限の酸素投与にとどめるべきであり、右「未熟(児)網膜症予防のための指針」等に従つて酸素投与を厳重に管理して本症の発生を未然に防止すべきであるのに、被告らは本症に関して充分な知識をもたずこれを怠り、不必要に過剰な酸素投与を行なつた。すなわち、未熟児に対する慣行的な酸素投与は避けなければならず、低酸素症など酸素の適応が存在するときのみに酸素を与えるべきであり、低酸素症の有無はPaO2が五九mmHg以下であるか否かあるいは病的中心性チアノーゼ(新生児の出生後二〇分までに見られる生理的中心性チアノーゼや新生児の四肢末端に見られ生後二ないし三日で消失する生理的チアノーゼは問題視すべきではない)の有無によつて判定しなければならないにもかかわらず、被告らは当時すでに誤りと判明していた四〇パーセント安全説に盲従して未熟児管理を行い、原告美佳に低酸素症が存在しない(このことは被告らがPa02値を測定しておらず、カルテに中心性チアノーゼの記載がないことから明らかである。また、被告ら主張の出生日たる八月七日午後九時頃のチアノーゼはカルテ上記載がないのでその存否自体が疑わしいが、たとえチアノーゼがあつたとしても生後一七時間しか経過していないことに照せば、生理的な抹消性チアノーゼにすぎないものと推定される)にもかかわらず、出生直後から四九日間もの長期間にわたり慣行的酸素投与を継続した。また、仮に原告美佳に酸素療法の適応が認められるとしても、それは呼吸障害の症状を示した八月一〇日及び同月三一日と無呼吸発作があつた九月一日早朝の三回だけであると推定されるが、この時期においても酸素療法を行なう以上、Pa02を測定して血中濃度を六〇ないし八〇mmHgに保つべく酸素管理をすべきであるのに被告らはこれを怠りガードナー法すら実施せず過剰な酸素投与を行なつた。

(三) 治療責任

(医療水準) 天理よろづ相談所病院の永田誠医師は本症に対して光凝固法を実施すると成果がある旨の論文を昭和四三年頃から次々と発表し、昭和四五年一一月には光凝固法による診断治療基準を総括した論文(「臨床眼科」二四巻一一号掲載の「未熟児網膜症」)を発表した。右総括的論文は主として本症Ⅰ型に関して実践的診断治療基準をまとめたものであるが、従来なされていた臨床経過の分類(オーエンスの分類)が直像鏡に基づいていたのに対して倒像鏡眼底検査に基づいた明確かつ詳細な修正分類を行い、光凝固法の施行時期及び施行部位を示したものであつて、具体的には、①境界線(デマルケーションライン)の形成をもつて第Ⅱ期とし、硝子体中への血管組織増殖ないし滲出をもつて第Ⅲ期とする修正分類を行ない、②光凝固を行なう時期を第Ⅲ期のはじまりとし、③境界線を中心に光凝固を行なう、としたのである。右基準は本症治療に携わる専門医に受け入れられ、本症に対して光凝固治療が各地の専門的医療機関で続々と実施されていつた。しかし、極めて稀ではあるけれども激症型(Ⅱ型)が存在することが判明したことなどにより昭和四九年に永田医師ら本症の専門医を集めて厚生省昭和四九年度特別研究補助金による研究班が発足し、同研究班は当時の最大公約数的診断治療基準を昭和五〇年に発表したが、右基準は、適期に行なわれた光凝固の有効性については臨床的に確認ずみであることを当然の前提として、Ⅰ型については永田医師の右総括的論文における基準を踏襲してこれを再確認するとともに、本症の特殊例外型であるⅡ型についての実践的診断治療基準を示し、眼底検査については「検眼鏡的検査は、一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三か月以降は、隔週または一か月に一回の頻度で六か月迄行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日または毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。」としている。以上が少なくとも昭和五〇年以降本症に関する一般的診断治療基準として遵守されるべきものであり、右研究班報告と同様に定期的眼底検査による本症の早期発見の重要性を指摘し関係医療機関の警鐘となつたものとしては、日本小児科学会新生児委員会による「未熟(児)網膜症予防のための指針」(昭和五〇年二月答申)や日本産婦人科学会未熟網膜症問題委員会による「本邦における未熟網膜症」(昭和五一年一〇月刊行の学会誌に掲載)などがある。

(注意義務違背) 被告らは産科医であり、被告病院には眼科医がいないのであるから、昭和五五年当時未熟児を保育する医師としては、本症の発症を早期に発見して適切な時期に光凝固等の治療を行なうことにより失明を防止するため、生後三週間目から一週間に一回定期的に眼底検査を受けさせるため、原告美佳を眼科医のいる病院に転医させるか眼科医受診のための措置をとるべきであるにもかかわらずこれを怠り、原告敬美らの再三再四の要求により生後一二週の一〇月二四日に至つてようやく松阪中央総合病院の眼科医に受診させたものの、右眼科医が眼底検査をした時には、本症Ⅰ型に罹患した原告美佳は凝固治療により完治する時期を過ぎた状態にあり、結局原告美佳を両眼とも失明させてしまつた。被告病院から八〇〇メートル以内に三つの総合病院(松阪市民病院、松阪中央総合病院、済生会松阪病院)があり、これらの病院のいずれかに定期的眼底検査のための往診を依頼すべきであつたし、往診が無理な場合は、定期的眼底検査を受けることができる病院へ原告美佳を転医させるか、眼科受診のために搬送すべきであつた。実際、原告美佳が眼底検査を受けた松阪中央総合病院では昭和五〇年から常勤の眼科医がいて未熟児全員に対して定期的に眼底検査を実施していたのであるから、同病院に往診を頼むか、往診が無理であれば転医または眼科受診のため同病院へ搬送すれば、容易に眼底検査を実施できたのである。また、未熟児を安全かつ容易に搬送するには簡易保育器(これは被告病院の如く未熟児を保育する施設では当然備えておくべきものであり、被告病院になかつたとしても、右の総合病院等から借り受ければよく、例えば済生会松阪病院には昭和五〇年四月より備えられていた)を用いればよく、万一簡易保育器がなくとも原告美佳が被告病院で収容されていた保育器(アトムV五五型)は、その上部プラスチック部分を下の台からはずして携帯用保育器として使用することも可能であつた。そして原告美佳の健康状態は八月一〇日、同月一三日、同月三一日、九月一日を除けば良好であつたから、少なくとも生後四週目にあたる九月二日以降は転医または眼科受診のための他病院への搬送は可能であつた。このように原告美佳が遅くとも生後四週目から定期的に眼底検査を受けていれば、早期に本症の発症を発見することができ、適切な時期に県内又は近県の三重大学、名古屋市立大学、名鉄病院、天理よろづ相談所病院等で光凝固等の治療を受けることにより失明を免れたことは明白である。

(四) 以上のとおり、被告らが共同して原告美佳に対して行なつた医療行為には注意義務違背があり、その結果原告美佳に本症を罹患させ、しかもその治療の機会を逸して両眼とも失明するに至らしめたのであるから、被告らが原告らに対し債務不履行責任又は不法行為責任を負うことは明らかである。

4  損害

(一) 原告美佳の逸失利益 金二一五三万円

〈以下、省略〉

(二) 原告美佳の介護料 金一三八〇万円

〈以下、省略〉

(三) 原告らの慰謝料

原告美佳金一〇〇〇万円

原告徹 金五〇〇万円

原告敬美金五〇〇万円

〈以下、省略〉

(四) 弁護士費用 金五〇〇万円

5  結語

よつて、被告ら各自に対し、原告美佳は前項(一)ないし(四)の合計額五〇三三万円、原告徹及び同敬美は前項(三)の各五〇〇万円及び右各金員に対する原告美佳が被告病院を退院した日の翌日である昭和五五年一〇月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、(一)は認める。(二)のうち、被告仁之が原告らとの間で原告美佳に対する診療行為を目的とする診療契約を締結し、被告尚機と共同して原告美佳に対する診療行為を行つたことは認める。

2  請求原因2(一)の事実中、保育器収容期間及び酸素投与期間を除き、その余は認める。保育器収容期間は出生直後から昭和五五年一〇月九日までであり、有意的な酸素投与期間は出生直後から同年九月七日までであり四九日間ではない。

同2(二)の事実は否認する。

同2(三)の事実中、昭和五五年一〇月二五日が退院予定日であり、その前日である一〇月二四日に原告美佳が松阪中央総合病院の眼科医玉置政夫の診察を受けたことは認め、原告らの執拗な求めにより被告らが「それ程心配なら紹介しましよう」と述べて右病院を紹介したことは否認し、その余は知らない。

同2(四)の事実は知らない。

3  請求原因3及び4は争う。

五  被告らの主張

1  原告美佳に対する加療の経過

原告美佳は、昭和五五年八月七日午前四時一八分、在胎三〇週・生下時体重一五〇〇グラムで出生し、皮膚は光沢が強く胎脂が多量で未熟性が高いことを表わしていたので、被告らは直ちに原告美佳を保育器(アトムV五五型でHARLAKE酸素電池型直読式酸素濃度計が装置されていた)に収容し、酸素を毎分三・〇リットル供給してその状態を監視することにした。同日午後には状態が多少安定してきたので酸素量を毎分一・〇リットルに低減したところ、同日午後九時頃チアノーゼを示したため酸素量を毎分二・〇リットルにし、翌八日午前四時には更に毎分三・〇リットルに増量した。同日午後一一時三〇分には多少状態が落ちついてきたので酸素量を毎分一・五リットルに低減し、八月九日午前一〇時一五分鼻注カテーテルでブドウ糖投与を開始した。同日午前一一時三〇分には状態が安定してきたため酸素量を毎分一・〇リットルに低減したところ、翌一〇日に入ると呼吸数が著しく減少しチアノーゼを示したため、同日午前七時に酸素量を毎分二・〇リットルに増量しチアノーゼが消失してきたため、同日午前一一時三〇分毎分一・五リットルに減量し、翌八月一一日午前九時には更に毎分一・〇リットルに低減しその状態で一日間経過した。

ところが、八月一三日午前九時頃から無呼吸発作が頻回発生したため、経過観察し同日午後零時に酸素を毎分二・〇リットルに増量し肺炎予防のためワイビタール(抗生物質)を投与した。その後も無呼吸発作が改善しないため、ビタミンB1・ビタミンC・リンコシン(抗生物質)・ビタカン(強心剤)を皮下注射した。翌一四日午前七時三〇分になつて泣き声を出し始め徐々に回復の方向に向つたので、翌一五日午前零時頃酸素量を毎分〇・五リットルに低減した。このように、原告美佳は出生した八月七日から同月二五日までは呼吸数及び脈拍が不安定で中心性チアノーゼや無呼吸発作を起こしていたため、生命や脳にとつて非常に危険な状態であつたが、その後状態が安定してきたので八月二九日(生後二二日目)に新生児モニターを取り外した。

ところが、八月三〇日夜になつて顔面がやや蒼白となり、翌三一日午後には元気がなくなり哺乳中にチアノーゼを示すなど慎重に観察すべき状態になつてきたので再び新生児モニターを装着し、ビタミンB1・ビタミンC・ビタカン(強心剤)・テラプチック(呼吸促進剤)を投与したが呼吸数が非常に少なく、翌九月一日午前五時にはほとんど呼吸停止状態という危機的状況であつたが、午前五時〇五分頃から泣き声を出して手足を動かすようになり呼吸数も増加し多少回復の徴候を示し、翌九月二日には多少安定した状態に移行した。右八月三一日から九月二日までの間は原告美佳の状態を観察しながら酸素量を毎分〇・五ないし一・〇リットルの間で必要量を投与した。

九月四日には呼吸数に上下動はあつたものの全体的には安定した傾向にあつたので酸素量を毎分〇・五リットルに減量し、翌九月五日午前一一時にはひとまず危機を脱したものと判断して新生児モニターを取り外したものの、いつまた九月一日のような重篤な無呼吸発作を起こすかもしれない状況にあつたので、いつでも多量の酸素投与が出来るような状態を維持しつつ経過を観察した。その後原告美佳の体重は徐々に増え、九月一六日にやつと生下時体重に復帰したが、未熟児でも普通は二週間位で生下時体重に戻ることからすると、右発育状態は非常に遅くそれだけ原告美佳の未熟性が高かつたことを端的に示している。

九月七日酸素量を毎分〇・五に減量して以降は酸素投与中止の機会を配慮のうえ、結局九月二四日に酸素投与を中止し、九月三〇日から哺乳力をつけさせるため経口で母乳及びブドウ糖を摂取させ、一〇月四日に哺乳力がでてきたので鼻注カテーテルを抜去し、一〇月九日には保育器からコットヘ移し、一〇月一五日に未熟児室から新生児室へ移した。その後体重が三〇〇〇グラム近くになり一般状態も良好であつたので退院を考え、念のために被告らにおいて原告美佳を松阪中央総合病院へ眼底検査に赴かせたところ、そのまま原告美佳は被告病院に帰院しなかつた。

2  本症の発生原因と本件における酸素管理

(一) 本症発生の基本的な原因は、児の未熟性(本症は生下時体重一五〇〇グラム以下で在胎三二週以下の未熟児に多く発症するところ、原告美佳は生下時体重一五〇〇グラムで在胎三〇週である)すなわち網膜特にその血管の未熟性にあり、原告ら主張の酸素投与期間や酸素投与量が本症発生の基本的な原因でないことは現在の医学界において一般的に認められているところである(昭和五一年一一月開催の日本眼科学会における馬嶋昭生教授の宿題報告、昭和五六年八月発表の同教授の統計的研究、赤松・川上・曽根・高田の昭和五七年発表の論文など参照)。ましてや、医原性の疾患といえないことは明白である。しかも、現在の医学水準においてすら、どのような因子がどのように関与して本症が発生するのかについては全く解明されておらず、どのような注意と予防をすれば本症が発症しないのかという一定の基準は昭和五五年当時はもとより現在でも示されていないのが実状である。したがつて、原告美佳が本症に罹患しているとしても、その発症と被告らの治療行為との間に因果関係があるということはできない。

(二) 歴史的には酸素投与と本症との関係が議論されてきたことは事実であるが、酸素を全く投与していない場合にも本症が発生することが明らかにされており(アメリカの本症の実情につき報道した昭和五六年一二月一九日付朝日新聞、兵庫県立こども病院の報告など)、酸素が本症発生の誘因として存在することを必らずしも否定するものではないが、酸素が本症発生の単独あるいは最大の因子ではないのである。すなわち、本症は素因を基盤とし、酸素を含む誘因が複雑にからみあつて発症するのであつて、「不必要な酸素投与」がそのまま本症の発症に直結するものではない。また、本件の如く低濃度の酸素投与と本症の発症とを結びつけることは医学的に確認できないものであり、これを相当因果関係があるとするならば、それは相当因果関係の名による医学への押し付けであり医学の否定である。すなわち、生命及び全身状態を損うことなくどのように酸素投与をすれば本症が発生しないのかが明らかでないのに、誘因の一因子として酸素が存在することを否定できないだけで直ちに酸素投与と本症との法的因果関係すなわち相当因果関係を認めたり、未熟児の生死や脳性麻痺の発症に直結する酸素投与について容易に過失を認めたりすることは、医学的解明がないままに裁判所が現場の医師に一定の加療を義務付けるという結果となり、医療を歪め混乱させることになるといわざるをえない。

(三) 被告らは、原告美佳の一般状態が極めて悪いことから同原告の生命・脳を第一に考えて酸素を投与したものであるが、原告美佳の状態を新生児モニター等により監視しつつ、前記1で述べたとおり、必要最少限度の酸素投与をしたのであり不必要な酸素投与をしたのではない。本件における酸素投与は、原告美佳の状態(チアノーゼや無呼吸発作の有無、呼吸数など)、酸素の投与量及び投与期間等を総合判断してしたものであり、当時の医療水準からみて非難されるべきところはなく、被告らに酸素管理についての注意義務違背はない。

原告主張のPaO2値を測定して酸素投与を決したり、あるいはチアノーゼの有無により酸素投与を決するという方法は、一つの有力な指針ではあつても、昭和五五年当時は光凝固の有効性が問題となると同時に本症の機序や治療法が大いに議論され、医学界において本症に対する知見が大きく対立し揺れており、臨床医としては準拠すべき基準が見出しえない状況にあつたのであるから、これらの方法で酸素投与を決することが法的義務として存在していたとすることはできない。また、継続的なPaO2の測定は極めて高度かつ困難な検査であり、当時のみならず現在でも当然に行なわれる検査とはいえない。

3  本症に対する治療法について

最新の医学界においても、本症に対して凝固治療(光凝固、冷凍凝固)が有効であると断定はできないとされており、本症についてはいまだ医学的に確立された治療法は存在しないというべきである。

原告らの主張は、昭和四七年に発表された永田誠医師の光凝固法に関する総括的論文(昭和四七年三月刊「臨床眼科」三六巻三号掲載)などにより昭和五五年当時には本症に対する治療法として光凝固法が確立されていたことを大前提としている。しかし、永田医師自身が自然治癒するⅠ型にかなり光凝固をしてきたのではないかと反省し(昭和五一年の日本眼科学会宿題報告)、Ⅱ型では治療に失敗して硝子体手術の手法の研究を開始するに至つており、右総括的論文は乏しい経験症例に対する光凝固法の治験例をもとに先走りした、配慮を欠いた結論を述べたものといわざるをえない。また、永田医師による光凝固の具体的治療法も変遷している。すなわち、凝固方法・部位については、昭和四三年頃には新生血管部(血管末梢部)を焼きつぶして血管増殖を止めるというものであつたが、昭和五一年頃には新生血管帯(有血管帯)の凝固は無意味であるというよりも有害であり、その外側の無血管帯を焼くべきであるとしており、光凝固の施行時期についても、昭和四七年にはオーエンスⅢ期よりもオーエンスⅡ期の終りが理想的であるとしていたのに、昭和五一年にはⅠ型では少なくともⅢ期中期まで慎重な観察が必要であると修正しているのである。このように本症治療の最高権威者である永田医師が自説を変更しつつあるという昭和五五年当時においては、本症に対する凝固治療についての定見があつたということはできない。昭和五〇年の厚生省特別研究班報告も当時の研究班員の平均的治療方針を示したもので、その治療法が真に妥当なものか否かは更に今後の研究をもつて検討する必要があると付言しており、現在もなお諸外国では凝固治療について否定的な見解が強く、結局、現在における多数の見解は凝固治療の有効性について判定をしかねており、そのような状況の中で凝固治療が緊急避難的に行なわれているというのが実情である。

4  定期的眼底検査及び転医指示説明について

(一) 原告ら主張の定期的眼底検査実施義務や転医指示説明義務が認められるためには、昭和五五年当時「臨床医学の実践としての医療水準」(これは①動物実験→②臨床実験→③追試→④教育・訓練→⑤一般的医療水準(臨床医学の実践としての医療水準)という段階的過程を経ることによつて形成される)として診断基準や治療法が存在したことが必要であるところ、定期的眼底検査をなすことが望ましかつたにせよ、臨床医学の実践として右検査及び診断基準が確立されておらず、右検査実施が昭和五五年当時一般化普遍化していたとは評価できないばかりか、本症に対する凝固治療の有効性が確認されていない以上、原告ら主張の右各義務は法的義務ということはできない。

そして、右二つの義務との関係で被告らの対応が問題とされるとしても、それは凝固治療が有効であることを前提にした失明に対する責任ではなく、患者のもつ期待に対する問題にとどまることになる。しかし、右期待は医学的根拠を欠くものであるから、原告らはこの期待に対する問題に関しても被告らに法的責任を問うことはできないというべきである。

(二) 被告らは原告美佳を松阪中央総合病院で受診させる以前にも眼底検査を実施することを考えたが、次の①ないし⑥の理由からこれを実施しなかつたのである。

① 過去の被告らの未熟児に対する酸素投与の経験からみて、原告美佳に対する酸素投与は充分に管理されたものであつた。

② 被告らが過去に加療した未熟児(昭和四六年から本件までに生下時体重一五〇〇グラム以下の未熟児二三例)の中には一例も本症が発生したことがない。

③ 被告らの地域では開業眼科医が未熟児の眼底検査に協力する体制にはなかつた。

④ 松阪中央総合病院などの総合病院の眼科医は往診体制になかつた。

⑤ 原告美佳は搬送に耐えうる状態ではなかつた。

⑥ 未熟児を搬送する体制が被告らの地域には存在しなかつた。

被告らの右判断は合理的であり、原告美佳出生当時における被告病院所在地域における医療状況を前提とすれば、原告美佳に定期的眼底検査を受けさせなかつた過失が被告らにあるということはできない。

六  被告らの主張に対する原告らの認否

被告らの主張2ないし4はすべて争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告美佳が昭和五五年八月七日原告徹及び同敬美の長女として被告仁之の開設にかかる被告病院で出生し、出生以後被告病院で保育されたこと、被告病院は産婦人科を標榜する病院であり、医師である被告仁之が同病院の院長、医師である被告尚機が同病院の副院長としてそれぞれ被告病院における診療に従事していること、被告仁之は原告らとの間で原告美佳に対する診療行為を目的とする診療契約を締結して被告尚機と共同して原告美佳に対する診療行為を行なつたこと、原告美佳は昭和五五年八月七日被告病院で出生したが、在胎期間満三〇週間で生下時体重一五〇〇グラムの未熟児であつたため、出生直後から少なくとも同年一〇月九日まで保育器に収容され、出生直後から少なくとも同年九月七日まで有意的な酸素投与をされていたこと、原告美佳は同年一〇月二五日が被告病院の退院予定日であつたところ、その前日である一〇月二四日に松阪中央総合病院の眼科医玉置政夫の診察を受けたこと、原告美佳は右一〇月二四日に被告病院を退院したが、同病院では退院に至るまで全く眼底検査を受けたことがないことは、いずれも当事者間に争いがない。

二診療経過等

右当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認定することができ〈る〉。

1  原告敬美は、昭和五五年二月一八日、被告病院において診察を受けた結果、妊娠中で出産予定日は同年一〇月一四日であることが判明し、その後も被告病院で定期的に診察を受け特段異常はなかつたが、同年八月六日腹痛を感じて被告病院で診察を受けた結果入院することになり、夜になつて陣痛が始まり、翌七日午前四時一八分、被告仁之立会の下で自然分娩により原告美佳を出産した。

2  原告美佳の出生直後の状態は、アプガールスコアが満点の一〇点であつたが、在胎期間が満三〇週、生下時体重が一五〇〇グラムで体脂が多い未熟児であつたため、直ちに未熟児室内の保育器(インキュベーター、クベース)に収容され、脈拍が毎分一〇〇回以下の場合や呼吸停止が三〇秒間続いた場合には警報ブザーが鳴るようにセットされた新生児モニターを装着され、酸素投与が行なわれた。

3  同年八月九日午前一〇時一五分頃から原告美佳に対し鼻注カテーテルでブドウ糖五パーセント液を一時間半ごとに与え始めたが、翌一〇日午前一時三〇分頃から午前六時三〇分頃にかけて、呼吸数五になるなど呼吸回数が減り顔面が黒くなつてだらりとすることが四、五回ありブドウ糖を与えることができなかつたが、午前七時頃になつてやや回復しブドウ糖を摂取した。また、同月一三日午前九時以降は三〇秒間呼吸しないため警報ブザーが頻回鳴るなど全身状態が悪かつたが、午後六時三〇分頃大量皮下注射を行つた結果、翌一四日午前七時三〇分頃には泣き出すなど少し元気になつた。酸素投与は出生直後から八月一三日頃まで毎分一ないし三リットル程度供給していたが、その後は供給量を毎分〇・五リットル程度に減らした。原告美佳の体重は同月二一日一一九二・五グラムまで減少したが、その後は徐々に増加し、同月二九日午前八時頃には体重が一三三七グラムとなり新生児モニターをはずしたが、翌三〇日午後一〇時頃顔色がやや蒼白となり三一日午後には顔色が悪くて元気がなく哺乳中チアノーゼが見られ、同日午後九時に再び新生児モニターを装着し、酸素投与も毎分一リットルに増加し、翌九月一日ビタカン(強心剤)やテラプチク(呼吸促進剤)を注射したが、同日午前五時頃呼吸はほとんど停止に近く脈拍も毎分六〇以下となり体温も低くなつたので、原告徹方へ電話で原告美佳が重篤であるから被告病院へ家族が駆け付ける様連絡したが、午前五時〇五分頃には泣き出して手足を動かし呼吸数も毎分二〇ないし二五、脈拍一四〇ないし一五五となり、午前八時一五分頃には少し元気を取り戻し、その後は順調に回復して同月五日には酸素投与量を毎分一リットルから毎分〇・五リットルに減らし新生児モニターをはずしたままでも良い状態となつた。その後同月一六日に体重が一五三五グラム生下時体重を上回り、同月二四日酸素投与を中止し、一〇月四日鼻注カテーテルを抜去して母乳をすべて経口で摂取するようになり、同月九日保育器からコットヘ移り、同月一五日未熟児室から新生児室に移動した。

4  原告美佳に対する酸素投与は、毎分四リットル(当該保育器の取扱説明書である乙第五号証によると、保育器内の酸素濃度は四〇パーセントに相当する。)以上には供給されない仕組みになつている保育器の酸素供給口から行なわれ、出生直後から九月二四日までの四九日間に一五〇〇リットル入り高圧酸素ボンベ二三本分が供給され、その間保育器内の酸素濃度はハリス酸素濃度計セントリーⅡによつて測定されていた(酸素濃度に関する記録は、国保診療録(乙第一号証の一)の八月一一日欄に「二五パーセント」と記載され、依頼箋(昭和五五年一〇月二四日被告尚機作成の松阪中央総合病院に宛てたもの。甲第一二九号証の二)に「三五―二八%約七二時間程度、二五―二二%約四〇日間」と記載されているだけであるため、経時的な酸素濃度は不明である)。

5  被告病院は、産婦人科を標榜する病院で、しかも未熟児の指定養育医療機関であり、院長で兄の被告仁之と副院長で弟の被告尚機が原則として毎日交替で外来患者と入院患者の診療にあたり、原告美佳についても被告らが共同して診療行為を行つていた。ところが、被告らは本症についての十分な知見を有しておらず、酸素投与が本症発症と関係があり危険性を持つことのみは認識していたものの、酸素濃度が四〇パーセント以下であれば本症に罹患することはなくて安全であると軽く考え、中心性チアノーゼが見られる時に限つて酸素投与を実施したわけではなく、また、本症に対する治療は時期を失すると実施することができなくなること及び酸素投与をした新生児に対しては生後三週間目から定期的眼底検査を実施すべきであること等の本症の発生・治療に関する重要な基本的事項を全く知らなかつた。

6  原告敬美は、同年八月一五日に被告病院を退院したもののその後も原告美佳に与える母乳を運ぶため毎日被告病院へ通つていたが、未熟児が保育器内で酸素投与をされると本症により失明することがあるということを知り、心配の余り、数回被告らに対し原告美佳が本症により失明する危険がないかどうかを質問し、本症罹患の危険性についての注意を喚起しようと努めたけれども、被告らは「酸素の量には十分気を付けているから大丈夫であり任せて下さい。もし悪ければ焼けば治る。今は保育器から出せない状態であるから退院してから眼科医に診せて欲しい」などと答えていた。小林富三(原告敬美の父で原告美佳の祖父)も入院中の原告美佳に会うため一五回位被告病院へ赴き、数回被告仁之に会つて本症罹患のおそれにつき同様の質問をしたが、被告仁之は「保育器の中の酸素の量が問題であるが、これには十分気を付けているから大丈夫である」旨を答えただけであつた。被告敬美や小林富三が被告らに対し同年一〇月初め頃から原告美佳の目の検査をするように再三再四求めたので、退院予定日の前日である同月二四日被告尚機が知合いの眼科開業医福吉医師に電話で原告美佳につき本症罹患の有無を調べるための検査を依頼したが、同医師が自分のところでは右検査は出来ないと右依頼を断わつたので、同旨の依頼を電話で松阪中央総合病院にして了承を得、同日被告病院の看護婦と原告敬美が原告美佳に付添つて松阪中央総合病院眼科へ赴き診察を受けた。

7  一〇月二四日、松阪中央総合病院の眼科医玉置政夫は原告美佳の眼底検査を実施したところ、両眼とも本症Ⅰ型の第四期にあり既に治療するには遅すぎるかもしれぬがすぐに手術をした方がよいと診断したものの、同病院には空室がなかつこともあり、津市内にある三重大学医学部附属病院を紹介した。そこで、原告美佳は原告敬美の運転する自動車で同病院へ行き、同日診察を受けたところ、同病院の眼科医も原告美佳は重度の本症に罹患しているとの診断であり、同病院では手に負えない状態にあることから本症治療の権威である名古屋市立大学の馬嶋昭生教授を紹介し、一〇月二四日が金曜日なので一〇月二七日の月曜日に名古屋市立大学病院へ転院し直ちに手術が出来るよう連絡をとつた。

8 一〇月二七日、原告美佳は名古屋市立大学病院において本症Ⅰ型の第四期であると診断され(乙第四〇号証診療録には「Type Ⅰ Neither Type Ⅱ nor intermediate type」と明記されている)、治療には遅すぎる状態であるが少しでも症状悪化を防ぐため冷凍凝固の緊急手術を受けることになり、同日馬嶋昭生教授らが右手術を施行したが、改善の効果はなかつた。右手術に際し原告美佳に全身麻酔を施したところ、数回無呼吸状態になつたこともあり原告美佳は同病院に入院したが経過も良く、他方原告らの住居が同病院からは遠いため家族の来院が困難であつたため、母子関係を樹立するためにも同病院を退院して三重大学医学部附属病院で診療を受けることとし、同年一一月四日名古屋市立大学病院を退院した。

9  その後、原告美佳は三重大学医学部附属病院に定期的に通院して診療を受けているが、昭和六〇年七月二日、原告美佳は両眼とも本症に罹患し、「右眼は光覚もなく失明、左眼は〇・〇二の視力である。正常人と同様の日常生活は不可能である」と診断された。

10  なお、被告病院は松阪市のほぼ中心部に位置し、同病院から一キロメートル以内に松阪市民病院、松阪中央総合病院、済生会松阪病院の三つの大病院(いずれも未熟児の指定養育医療機関)があり、右松阪中央総合病院は昭和五〇年以降既に常勤の眼科医が未熟児全員に対して定期的な眼底検査を実施していた。また、済生会松阪病院には昭和五五年当時未熟児搬送用の簡易保育器が用意されていた。

三本症及びその診断・治療基準

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認定することができ〈る〉。

1  本症は、発達途上の網膜血管に起る非特異性の血管性疾患であり、発症しても大部分のものは自然治癒するが、その余は不可逆的変化をもたらし視覚障害を残すものであり、我国においては昭和四〇年代後半から適期に光凝固等の凝固治療を行なえば本症の進行を停止させることができる旨の多くの報告がされている。

2  本症の発生要因・機序については、未解決の問題が多く現在でも十分に解明されてはいない。本症の発症が網膜(特に血管)の未熟性を基盤としていることは明らかにされているが、酸素との関係については、新生児の呼吸障害改善のために施した酸素療法の酸素濃度や投与期間との関連が指摘され、酸素濃度を四〇パーセント以下の必要最少限とすることによつて本症の発生が減少したけれども、酸素濃度が四〇パーセント以下の場合や酸素療法が行なわれていない場合にも本症が発生したとの報告があり、また、動脈血酸素分圧との関連を指摘する見解もあるが、結局現在までのところ本症の発生要因は、網膜の未熟性を基盤として多くの因子が関与しているのであろうといわれている。

3  昭和四九年、それまで医師の間において本症の診断や治療に関し統一された基準が確立されていなかつたので、本症の診断・治療基準を研究するため、植村恭夫を主任研究者とし、塚原勇、永田誠、馬嶋昭生、松尾信彦、大島健司、山下由紀子、森実秀子、山内逸郎、奥山和男、松山栄吉、原田政美を分担研究者とする厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班が発足し、翌五〇年同研究班により「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」(以下、研究報告という)が発表された。

4  右研究報告のうち本件訴訟に関連する部分の要旨は、次のとおりである。

(一)  本症をⅠ型とⅡ型に大別する。Ⅰ型は、主として耳側周辺に増殖性変化をおこし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出・増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のものであるが、その活動期の臨床経過分類(診断基準)を、1期(血管新生期)、2期(境界線形成期)、3期(硝子体内滲出・増殖期)、4期(網膜剥離期)とする。Ⅱ型はⅠ型の如き段階的な進行経過をとることが少なく、自然治癒傾向の少ない予後不良の型である。瘢痕期についても自然経過例において一度から四度までに分類する。

(二)  検眼鏡的検査は一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後三週以降において定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三か月以降は隔週または一か月に一回の頻度で六か月迄行ない、発症を認めたら隔日または毎日眼底検査を施行しその経過を観察する必要がある。

(三)  本症の治療には未解決の問題点が多く残されているものの、進行性の本症活動期病変が適切な時期に行なわれた光凝固あるいは冷凍凝固によつて治癒しうることが多くの研究者の経験によつて認められている。Ⅰ型とⅡ型とでは治療の適応方針には大差があり、Ⅰ型においてはその臨床経過が比較的緩徐で発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであり、2期までの病期中に自然治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までのものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題となるが、3期に入つたものでも自然治癒する可能性は少なくないので、同一検者による規則的な経過観察を行ない、進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。Ⅰ型における光凝固の治療方法は、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部附近は凝固すべきではなく、冷凍凝固による治療も凝固部位は光凝固に準ずる。

5  右研究報告が、昭和五五年八月当時既に本症の診断・治療の臨床医学的基準として一般的に承認されていた。(なお、右研究報告の診断基準は、昭和五七年に再検討されて一部改正されたが、本件訴訟に影響を及ぼす点はない。)

四被告らの注意義務違背の有無について

以上の事実関係を基礎に被告らの注意義務違背の有無を考えると、原告美佳の診療・保育を共同して行つていた被告らとしては、同原告の生下時体重が一五〇〇グラムで在胎期間が三〇週であり、長期間にわたつて酸素療法を施していたのであるから、当然本症発生の危険性を十分に認識したうえ、万一本症が発生した場合にはこれを早期に発見しその進行を監視して、最も適切な時期に光凝固又は冷凍凝固による治療を施すことができるよう生後満三週以降少くとも一週一回の割合で三か月まで定期的に眼底検査を実施するか、右眼底検査を的確になし得る能力を有する者がいないのであれば、右眼底検査をなしうる専門医に往診を依頼して眼底検査を実施してもらうか、専門医の常勤する病院へ転院させるなど適切な措置を講じて失明等視覚障害の発生を未然に防止すべき一般的注意義務があり、原告美佳の場合生後満三週を経過した九月一日前後頃において一時呼吸障害が見られたものの生後満二九日目にあたる九月五日には新生児モニターを装着していなくともよい状態になつたのであるから、遅くとも同日以降は右一般的注意義務を尽すべき具体的注意義務があり、被告らが同日以降右具体的注意義務を尽していれば、原告美佳の罹患した本症Ⅰ型の一般的な進行経過からみて同日以降の定期的眼底検査によつても本症を発見して経過観察をすることにより、治療適期を逸することなく、光凝固等の適切な治療を施し失明ないし重度の視力障害を免れることができたはずであるのに、被告らは未熟児を含む新生児の養育・治療に携わる医師であるにもかかわらず、本症についての十分な知見を欠き定期的眼底検査の重要性を全く認識せず、また原告敬美らの本症発生の危険性についての訴えをも無視し、生後満七八日目にあたる一〇月二四日まで原告美佳に対して眼底検査を実施しなかつたため、原告美佳は光凝固又は冷凍凝固による治療の適期を逸し、その結果右眼は失明、左眼も視力〇・〇二という重篤な視覚障害の後遺症を残すに至つたものというべきであるから、被告らには右の注意義務違背の過失があり、右過失と原告美佳の右後遺症との間には法的因果関係があるといわざるをえない。

したがつて、被告らは不法行為責任ないし診療契約上の債務不履行責任として右過失により原告らに与えた損害を賠償すべき義務がある。

なお、原告らは、被告らの診療は酸素管理のみならず全身管理が極めて杜撰であり、その結果原告美佳に本症を発症させた旨(発症責任)主張するが、本症発症に酸素療法が関係していることは明らかであるけれども、原告美佳については少なくとも八月一〇日、同月一三日、九月一日に呼吸障害が生じており(右呼吸障害が被告らの不適切な治療・保育に基づくものであると認めるに足りる証拠はない)酸素投与が必要であつたと認められるところ、仮に必要以上の酸素投与が行なわれたとしても、これによつて本症が発症したのか、必要不可欠な酸素投与によつても本症が発症したのかが明らかではないから、結局、右原告ら主張事実を認めるに足りる証拠がないといわざるをえない。

五損害

1  逸失利益

原告美佳に生じた後遺症(右眼失明、左眼視力〇・〇二)に照せば、原告美佳は将来にわたりその労働能力の一〇〇パーセントを喪失したとみるのが相当である。そして、一八歳から六七歳までの就労可能期間四九年間の得べかりし労働収入は、昭和五五年度賃金センサスによる全女子労働者の平均年間給与額一八三万四八〇〇円を基準として、原告美佳の労働能力喪失による逸失利益の現価をライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して算定すると、次の計算式のとおり一三八五万一八二二円となる。

2  介護料

原告美佳は右眼は失明し左眼の視力も〇・〇二と極度に悪く、出生後同原告が満一八歳になるまで日常生活全般にわたり近親者による介護が必要であると認められる。右介護料総額は、右全期間にわたり一日当りの介護料一五〇〇円、一年を三六五日として、ライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して算定した現価六四〇万〇〇〇一円をもつて、被告らが同原告に対し支払うべき介護料と認める。

一五〇〇×三六五×一一・六八九五=六四〇万〇〇〇一

3  慰藉料

原告美佳は、本件医療過誤による後遺症(右眼失明、左眼視力〇・〇二)のため、生涯にわたり社会生活のみならず日常生活においても決定的な制約を受けることは必至であり、その精神的苦痛は極めて大きいこと、その他被告らの注意義務違背の内容程度、本症発症の要因など本件訴訟にあらわれた一切の事情を参酌すると、被告らが原告美佳に対して賠償すべき慰藉料は金五〇〇万円が相当である。原告徹及び同敬美については、長女である原告美佳が右障害を煩つたことにより甚大な精神的苦痛を受けたと認められるところ、本件に関する一切の事情を斟酌すると、被告らが右両原告に対し賠償すべき慰藉料は各金一五〇万円が相当である。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告美佳は本件訴訟の提起・追行を同原告訴訟代理人らに委任し、その費用及び報酬として少くとも二〇〇万円以上の金員の支払を約しているものと認められる。本件事案の性質、訴訟経過、訴訟活動、判決認容額その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すれば、被告らが原告美佳に対して賠償すべき弁護士費用は金二〇〇万円と認めるのが相当である。

六結語

よつて、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告ら各自に対し、原告美佳において二七二五万一八二三円、原告徹及び同敬美において各一五〇万円及び右各金員に対する不法行為後の昭和五五年一〇月二五日(原告美佳の被告病院退院の日の翌日)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言及び仮執行免脱宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官庵前重和 裁判官下澤悦夫 裁判官鬼頭清貴)

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